2016-11-27

京都府宅地建物取引業協会 京都支部コラム掲載

福岡の思い出「海」                   

 京都に生まれてまもなく41年、京都市は盆地で周辺に海がなく、舞鶴や阪神方面の海へは車で2時間ほど掛かります。往復4時間を考えると気軽に行ける距離ではありません。そのせいか、小さいころから「海の側に居を構えたい」という思いがあります。

 そんな私が、九州福岡に3年ほど居住したことがあります。

 福岡市の西、近くには鴨川より少し川幅の広い「室見川」が流れ、川沿いを15分ほど歩くと博多湾に出られるところです。

 そこには砂浜、釣り場、島への渡船場など京都では味わえない「海」があります。すぐ近くには鎌倉時代に蒙古襲来に備えて築かれた「元寇の防塁」がありました。

 玄関灘に面する福岡は、昔から大陸との関わりが深く、周辺には文化史跡がいくつも残っています。

 玄海灘沿いの道、唐津街道を西へ行くと市内から30分ほどの距離に自然環境が多く残る「糸島」があります。

 その先には日本三大松原(海岸沿い長さ4.5キロ、クロマツ100万本)の「虹の松原」、周辺に鏡山があり、その展望台からは佐賀唐津の町並み、唐津城を一望でき、その先には唐津湾が広がるとても眺望の良い人気スポットです。

虹の松原から西へ長崎県松浦市を抜けると、平戸島へ渡る鮮やかな朱色に塗られた吊り橋、「平戸大橋(延長665m)」が見えてきます。平戸市は長崎県北西部に位置し、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港でした。1550年にフランシスコ・ザビエルが平戸に来航し、キリスト教の布教を始め、今でも数多くの美しい教会が残っています。

 平戸から西は陸路で行ける「九州の最西端、生月島」があります。

 平戸島から生月島を結ぶ、生月島大橋(960m)からの眺望はすばらしく、行きかう船を眼下に見下ろすことができます。島の最北端、大バエ灯台までは、西側の断壁から東シナ海を望む道がしばらく続きます。途中、小高い丘に牛が放牧されているのが見えました。

生月(いきつき)という島名の由来は、遣隋使・遣唐使の時代に中国から日本へ帰国する旅人が、船上からこの島を見つけると無事に帰ってこられたと安心してホッと息をついたことからといわれています。

 最後は島を南下し長崎市へ、有田から佐世保を結ぶ一両編成の「松浦鉄道」と並走し、時間は夕方五時に、海岸から「九十九島」を望む夕日が青紫に光り、逆光になる島の陰影がとても幻想的でした。

 今でも年に数回福岡に行きますが、海の無い地域で育った私の理想を叶えてくれる場所です。

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